アレキサンドライトと歴史の周辺
喜連川宝石研究所 所長 喜連川純氏著

◆ DNAでわかった歴史的事実 ◆
ロシア革命のとき、ヤコフ・ユロフスキーは、皇帝ニコライⅡ世とアレクサンドラ皇后、そしてその五人の子供達をひそかに処刑するようモスクワから命じられました。
彼は、シベリアのほぼ中央にあるトボリスクから、皇帝たちをエカテリンブルグの、その名もおそろしい「特別の目的を実行する家」に移し、二ヶ月半後の一九一八年七月十七日午前一時三十分、全員、銃で処刑してしまいました。
彼は処刑にたずさわった人以外にこのことを知られないよう、炭鉱で遺体を切断し、硫酸に浸したあと、さらに焼いて廃坑にすてたのです。
しかし、それはすぐ多くの人の知るところとなり、ふたたび別のところに埋めなおしたため、長い間その場所が分かりませんでした。
そして一九七九年五月のある朝、ついにその場所が発見されたのです。
その遺骨は九十一年、政府の遺骨委員会によって公式に発掘され、DNA鑑定がすすめられてきましたが、一九九八年一月二十九日、ついに同委員会は「遺骨は九十九・九八%皇帝一家のものである」との最終報告書をまとめ、三十日政府に提出され、そのことが小さくですが、日本の新聞にも報じられました。
新聞には書いてありませんでしたが、このDNA鑑定には、思いもよらぬ方のサンプルが
つかわれていたのです。
それは、英国女王エリザベスの夫君、フィリップ殿下のDNAでした。
なぜなら、フィリップ殿下は、ギリシア王室に生まれ一九四七年イギリスに帰化された方で、ニコライⅡ世とアレクサンドラ皇后にDNAがいちばん近い親戚(しんせき)だったからです。
ごぞんじのように、ヨーロッパは古くから王室どうしの政略結婚がさかんにおこなわれており、ニコライⅡ世の皇后アレクサンドラも、ドイツのヘッセン公とビクトリア女王の娘との間の生まれた方で、つまり、ビクトリア女王の孫にあたるというわけです。
このニコライⅡ世は、皇太子のころ日本に来られ、大津で人力車に乗っていたところ、日本侵略の調査にきたものと思い込んでいた、津田三蔵巡査に額(ひたい)を刀で切りつけられ
(大津事件)負傷したことがあります。
また、日露戦争も彼の時代でした。話がちょっと長くなってしまいましたが、この、ニコライⅡ世の祖父が、宝石のアレキサンドライトと関係のふかい、アレクサンドルⅡ世(一八一八年生、在位一八五五~八一)なのです。
◆ アレキサンドライトの色は万華鏡の世界 ◆
さて、宝石のアレキサンドライトですが、この宝石は、クリソベリルという鉱物の変種で、
光源の色によって宝石自体の色が変わるという、たいへん珍しく楽しい宝石です。
最初の発見は、一八三一年で、ウラル山脈のトコワヤ村付近にあるエメラルド鉱山でみつけられ、当時、皇太子であったアレクサンドルの成人式に献上されました。
アレキサンドライトという宝石名は、のちに(一八四一年)、スウェーデン王立博物館鉱物部長のノルデンシェルドによってつけられたものです。
このノルテンシェルドは北欧探検家としても有名で、明治二十年に日本に来たことがあり、
そのとき持ち帰った六千点におよぶ書籍は、いまもストックホルム王立図書館に大切に所蔵されているそうです。
その当の名前の由来はとなったアレクサンドルⅡ世は、当時アメリカにわずか七百二十万ドルで売ってしまったり、あまりに保守的な政策をながくとりつづけてたため、ついに国民の反感をかい、一八八一年三月のある日曜日「人民の意志」派のメンバーに爆弾を馬車のなかに投げこまれ、暗殺されてしまいました。
そういえば、アレキサンドライトが発見されたトコワヤも、ニコライ一家が処刑されたエカテリンブルグと約九十キロ(東京と小田原のちょっと先ぐらい)しかはなれていず、なにか因縁めいたものを感じます。
このように、ロマノフ王朝末期の皇帝たちの最後は悲惨でしたが、それぞれ自分たちの失政がまいた結果でのこと、宝石のアレキサンドライトのあずかりしらないことです。
それに、産出量もきわめて少なく、いま市場でみられるアレキサンドライトのほとんどがロシアとは関係ないスリランカ、ブラジル、タンザニア、ジンバブェのものばかりです。
かくいう私でさえ、なが年この仕事にたずさわっていますが、ロシア産のアレキサンドライトは一度しか見てないぐらいです。
ネーミングの歴史として意味はありますが、ロマノフ家の悲劇とむすびつけることはさらさらないのです。
それではアレキサンドライトの、他の宝石にはない美しさについてお話しましょう。
ルビーとかエメラルトはそれぞれ赤とか緑の色一色の美しさですが、アレキサンドライトは、光源によってその色が紫みの赤と青みの緑の二色に変化し、ときとして、自然光で青緑一色に見えていたものが、カーテンなどの色が微妙に宝石のカット面に影響して、アレキサンドライトのなかは、さながら青緑と赤紫の万華鏡をのぞいているような幻想的な美しい世界になるのです。
つまり、ほかの色石とちがって同時にふたつの色をたのしむことができ、それも自然光と電灯などの人口光下とでは、ふたつの色の配分比が変化して見えるという不思議な宝石なのです。
最近では、自然光では黄色く人工光で赤に変化するものも発見されております。
このアレキサンドライトは、鉱物名をクリソベリルといい、硬さもルビー、サファイアについで八・五と硬く、その美しさを永久にたもつ耐久性抜群です。
どういうものか価値があるのかといいますと、変化した色が美しく、透明感もたかく、内放物も少ない。
そして、万華鏡効果のでるカット面がおおく、品のいいかたちと大きさであるということになります。
まぁ、これは理屈で、すべてをみたすことはむりでしょうが、アレキサンドライトの命というべき、美しい色変化については妥協(だきょう)すべきではないでしょう。
名前だけの、美しくないアレキサンドライトが、びっくりするような値段で売られていることがあります。
そういうものはぜったいにお求めにならないことです。
洗い方としては、お台所の中性洗剤とぬるま湯をつかい、はけ洗いをするだけですぐにきれいになります。
ただ、流し台で洗うのは事故のもとになりますのでお避けください。